イラストは狼の少女。そのうちヴィネット風に仕上げる予定。
この、「キャラクターの成長」というテーマ、個人的にはあらゆる物語にほぼ必須だと思うのですよ。
キャラが成長する様は、読み手や視聴者に共感を与え、キャラや物語をより魅力的なものとしてくれます。
少年漫画でも成長するキャラは人気がありますよね。戦闘能力だったり、勉強だったり、人間的な成長だったりと内容は様々です。
また2時間足らずの映画の中でも、キャラが困難を克服していく様子は広い意味で成長と呼べるのでは無いでしょうか。
そんな成長要素ですが扱いが難しい一面も
キャラの役割や能力、物語にもよりますが、主人公格のキャラに物語中まったく成長が見られないと、共感どころか、そのキャラへの「ヘイト」が集まることさえあります。
そういう意味で、成長という要素は減点方式的な扱いとなっている一面もあると思います。あって当然、無ければ減点。
真にヘイトを集めるのはあの鬼畜メガネ ©namco
話は変わるのですが、ある時、とあるゲーム実況動画に幾つか出会ったことがありました。
それらの動画はもともとエンジョイ勢を謳っている動画であり、別にゲームの上手いプレイを売りにしているものではありません。
こちらもその前提で見ているはずなのに、回を重ねても一行に上達する気配のない内容にさすがに辟易してしまうことがありました。コメントにもそんな感じの感想がちらほら・・・
もともとそういう前提で見る場合でさえそんなことを思ってしまうのに、成長が期待されるキャラが成長しなかったり、期待を裏切るような成長の仕方なら、読み手の落胆や当惑や失望は推して測ることができるでしょう。
成長を魅せるってのは、極めてセンシティブなことって事なんでしょうか。
成長という要素の採用を回避する
成長という要素がストレスとなるなら、そもそも使わなければよいのでは。
例えばルパン三世などは、ほとんど完成された能力やスキルを持つルパン一味が巻き起こす派手なアクションと悪役の成敗というカタルシスがあれば十分であり、ルパン一味の成長というところにはフィーチャーしていません。
前段で述べたように、困難を克服するなどといった点でまったく成長要素が無いわけではないと思いますが、それでも視聴者の期待には応えられているわけです。
この一例では、キャラとして能力が完成されているほど成長という要素は不要に近づくということになります。その場合、成長による共感以外の作品としてのウリが必要となるわけですね。
なぜ成長という要素が求められるのか
それでもやはり魅力的な成長要素。なぜ成長という要素は好まれやすいのでしょう。
コレは私見なのですが、現実世界で成長するということはなかなかにエネルギーを使うことだからではないでしょうか。言い換えると、努力をしなければ基本的に成長を実感することはできないのです。しかし、努力は実らないこともあります。
その場合、費やしたエネルギーが報われることはありません。本気を出した分だけ挫折という苦~いキャンディを舐めることになります。
だから、失敗をすることのない物語中の成長要素に自己を投影し、現実世界での成長の代替としているのではないでしょうか。手っ取り早い達成感の体験的な・・・。
まあ、理屈抜きでキャラが成長するのを見るのは楽しいから!で良いと思いますが。
狼の少女の成長、赤ずきんの成長
ちなみに、「赤ずきん 狼と魔女」の作中では
狼の少女
-物語当初:受け身で、相手を慮りすぎるあまり行動に移せない。
-成長後:相手が喜ぶと思うことを自ら考え、自発的に行動する。
赤ずきん
-物語当初:(本質的には)自己都合の友情を求める。
-成長後:自分にとっての真の友情を知り、そのために行動する。
という風になるように物語を展開させたつもりでした。ありきたりな少女達のありきたりな成長を繊細に描きたかったのです。。。
というわけで、アプリは下記で無料ダウンロード可能です☆
最後までご覧いただき、ありがとうございました。